2012年9月26日水曜日

英語が苦痛ですが何か?

日本人は英語ができないとよく言われます。私自身もそう信じてきました。
しかし、この考え方が「アンフェアーだなぁ~」 と最近 感じることができる ようになってきた。
そもそもいったいどれだけ出来れば英語ができることになるのか?
個人の想像ですが、きっと日本人の考える ”英語ができる” は、

1.映画が字幕なしで見れる
2.外国人と英語で対等に渡り合える
3.TOEIC○○点 など・・・

(これらは今まで私の心にあった”英語ができる” の定義です・・・)

TOEICはさておき、
映画が字幕なしで見れるとか、外国人と対等に渡り合えるなど、そんなことを自分に課していたらナンセンスです。きびしすぎる考え方です。多少の勉強をしたからといって普通に日本語で暮らしていて起こるとは考えられません。逆に、(豊富とはいえませんが)私の今までの経験で、日本のTVを完全に理解できて、私と日本語で対等に渡り合えた外国人はいません。(9割強は可能だなぁと思われる強者は2人います。驚かされるほど知性と好奇心の持ち主ですが、どちらも日本人パートナーがいるし、日本に住んでいた期間も充分にあります。)

もうひとつ、私の体験談なのですが、
これは私が10年前にカナダへ旅行に行ったときのこと。
空港行きのバスがなかなか来なかったので、バス停からスケートボードを持ったイスラエル人の若者とタクシーで一緒に空港に行くことになったのです。乗ったタクシーの運転手がパレスチナ人で、『えっ もしかして俺ってヤバイ?!?!』みたいな ”ヒヤリ体験” でビビッたという思い出もあるのですが、 同時にその若者から言われたことをよく思い出します。彼は愛想のいいニコニコタイプではなかったのですが、丁寧な英語ですごく聞き取りやすかったので、
「英語が上手ですね、私は英語が得意とはいえないです・・・」 みたいなことを言ったら、
「私の国の言葉は英語に似てるからね。でも日本語はぜんぜん違う言葉でしょ」 と感情交えずさらりと言われました。(たぶん)

日本語は英語とはぜんぜん言語が違うし、思考文化もまったく異なるのです。
そして、かつ 英語に触れなくても私たちは問題なく暮らせてしまう・・・・

グローバル時代だからという脅しもやっかいです。 まあ何年・何十年も前から(明治維新から!?)言われてて、脅迫の割には状況変わってない気もするが・・・。

まあ、さておき、 英語への苦手意識・・・。 この ”アンフェアーな劣等意識” はどうにか厄介払いしたいものです。 


外国語は、どこの国の人にとっても 程度の差こそあれ苦痛。 
Kevinにとって日本語も苦痛だろうし、
私が知り合ったドイツ人・フランス人もとっても英語は嫌そう・恥ずかしそうでした。

別に苦痛でもどうったことはないでしょ。気にせず勉強しましょ♪
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どうぞHimawari Englishへ。

2012年9月24日月曜日

買い物で ”決定力” を鍛える!

秀逸な販促ツールたち と 黒ネコのモビール
黒ネコのモビールを買いました。 細い糸でぶら下がり、バランスをとりながら風でゆらゆらするモビール。教室の天井があまりに殺風景で面白くないのでどうにかしたいなぁーと、長い間考えていたのです。 今の教室の天井はボードを張らずに骨組みだけにしてあり、開放性はあるのですが、天井内がすべて黒で、おまけに配管やダクトだらけ。正直言って全然かわいくありません。で、愛嬌を出す第一段としてモビールとなったのです。天井裏に住み着く黒ネコの親子という設定にしてます。そんなネコっていそうでしょ?

それはさておきこのモビール、 スコープ という名古屋にある雑貨屋さんのWEBページから購入したのですが、ここでは、ちょっとなかなかにくいほど満足のいくお買い物体験が出来てしまいます。モビールを買うのでこれで3回目になるのですが、HPがおしゃれ!とか、対応が迅速とか、梱包が丁寧 のような表層的な感想にとどまらず、細かい販促ツール(コミュニケーションツール)まで、一貫した姿勢を感じられます。お客さまに喜んでもらいたいという、お店の思いが感じられる訳です。お店が伝えたい価値観をお買い物シーンの各所で表現されていてとってもいい感じな訳です。

最近はますます豊かなもんですから、”物” は簡単に手に入ってしまいます。 しかし買い物は単に”物”を手に入れるためだけの手段であってはまずいと思っています。私たちが欲しいのは”物”だけでなく、実は”いい気分”も欲しい。 その買い物をとおして、便利になったり、元気になったりする必要がある。自分の将来のプラスにつながっていく"気分"も買い物したいのです。

そのためには、自分はどんなものが欲しいのか? 自分はどういう気分になりたいのか? 誰から買えばいいのか? など買い物の裏では実は結構Heavyに自分自身のWANTについてしっかり考える必要があります。


「会社の成長は決定で決まる」 といいます。 これは個人にもそのまま適用してOKでしょう。 いろいろな決定が生活のなかではありますが、買い物という決定は、回数もよくあるし、結果はすぐ出るし、失敗イコール金銭的損失と分かりやすい。しっかり自分のWANTを考えて決定するトレーニングにはとてもいい機会だと思っています。

自分が真に何を欲している人間かをよく知っておかなければ、今のマーケティング技術と販促テクニックにかかれば、不要不急なものを買わされてしまい、実はぜんぜん欲しいものではありませんでした という"気分"になること容易です。 まあ、要らなかったら返品するとか、売るとか、ほったらかしにしておくという選択肢もあるわけですが、安易な決定をしていてはトレーニングにはなりません。 そうして買い物(トレーニング)は続いていくのです・・・・・!?
   

2012年9月6日木曜日

インテル・デリバーズ (ピザではありません)

今週2つの異なる新聞でとある共通のトピックが扱われていました。それが以前出会った  "Only the paranoid survive (臆病ものだけが生き残る)"  という言葉を思い出させてくれたので、ちょっと展開しておきたいと思います。

『イノベーション(革新)

液晶テレビの先駆者(イノベーター)としてアクオスなどの大ヒットを出し、国内での大量生産体制に舵を切ったシャープが経営危機に陥ってしまっています。大胆な設備投資に原因の多くはあるでしょうけれども、2つの新聞の論点はそこではなく、どれだけ良いものを創っても"旬"を過ぎれば魅力が色あせてしまう ”世の中のシビアさ” や ”経営の難しさ” について書かれていました。

いくら目新しく、話題性に富んでいるものでも、模倣され、社会に広まってしまうと急速に同質化して、差別化しにくくなり、結果的に価格競争に陥り経営を圧迫してしまう・・・・
消費者の側としては、最終的には 『テレビなんて結局どこでも一緒でしょ』 となってしまうということです。

私の今持っているテレビ感覚もまさにこれ。 亀山や鈴鹿など三重県に住んでいたことが2年ほどあったので、一時は「アクオス亀山モデル」を贔屓目に見て、"亀山から世界へ"という野心的な心意気にやや興奮していたのですが・・・・(泣)

『脱コモディディー化(日用品とならぬこと)

ビジネスに関して、コモディティー化を防ぐこと、つまり自分たちの製品やサービスが ”その他おおぜい” と同質化してしまわないように、ブランドを築き上げることがますます大事になっています。自分たちのオリジナルな経験や歴史の上にお客さまとの関係性を構築し、他者が真似できないようにしてしまう、、、、、 このように代替不能な存在として生き残りを目指すことが一番根源的な解。 そして、この考え方は個人の生き方にもそのまま当てはめられる、もっというなら、当てはめるべきものだと考えています。(言うのは簡単!理解できても、行動はなかなか大変なのです、、、、)

『インテル・イノベーツ(革新を起す)』 ⇒ 『インテル・デリバーズ(顧客の期待に応える)

ここでパソコンの心臓部であるCPUを作っているインテルの話になります。このブログの出だしの"Only the paranoid survive(臆病ものだけが生き残る)" は、その創業者 アンディーグローブの言葉 。 いくら素晴らしいものを革新(イノベーツ)しても、生き残れないのではないのか? という病的なまでに慎重な姿勢です。主流の無制限なポジティブシンキングを善しとする成功哲学とは一線を画しています。
しかしインテルは、その考えを軸として、妥当なコストで充分に信頼できるCPUを顧客へ届けることで期待に応え(デリバーズ)、パソコン業界という競争の激しい世界で40年以上サバイバルすることに成功しています。

これは素晴らしいのだ! という自己中心的な考えからシフトして、顧客の期待に応えるという顧客中心の考え方で行動しないと企業も、そしてきっと個人も行き詰ってしまうのです(あぁ~ うぅ~)。

Deliver】といえばピザですが、
この語に"約束を果たす"という意味もあるとは。
(写真は本文に関連ありません。ただ好きなだけです。悪しからず)


2012年9月5日水曜日

カタカナはまずいでしょ!(英会話には)

昨日、英語に詳しい方とお話をさせてもらっていたのですが、
今、中学校では発音記号を使わず、カタカナで発音を表記している(!?)とのことなのです。
そうとは知らなかったので、これはなかなかの脳への衝撃でした。
(円周率が”3”になったときと同じような感じかな・・・・)

発音記号で英語の発音ができるようになるとももちろん思えないので、カタカナを駆使しての教育方法にも合理性は当然あるはずです。全体最適にかなう理由は織り込まれていると思います。

中学生全員が、日本人っぽい英語ながらもどうにか基礎を身につける! とか、落ちこぼれをつくらないという点では、学習がスムーズかも知れません。カタカナで読みがあれば、「読めないから勉強やーめた」 というDrop offは防げそうです。

そう考えると、カタカナは絶対にNG! というものではないのかもしれません。


私が、驚いたのは、つまり、『えっ?カタカナで表記しちゃうのはまずいでしょ!』 と反応してしまったのは、カタカナが(多くの日本人の)英会話の障壁になっていると考えているからです。(意味のよく分からないカタカナ語が氾濫しているのも問題あると思っていますが・・・)

大人が英語を習う場合、多かれ少なかれ会話ができることを目指すと思うのですが、通じる英語を話すには、カタカナ(五十音)の発音なり、あやふやな発音をしては絶対にダメだという強固な認識が必要です。スペルが想像できていない単語は通じないことが必至です。

英語が通じなかった経験は誰でもあるだろうし、日本人の発音が悪いことも分かるけど、それにしても分かりそうなもんだけどなぁ~ と思ってしまうことさえあります。
ちなみに私の今までの経験で一番通じなかった単語は”フルーツ(Fruits)”。カナダ旅行中、小さなレストランで女の子に何かフルーツの入った冷たいものが食べたいと注文していたときのことです。何度言っても分からないから、appleやbananaや みたいな・・・と例を伝えると、『あっ、それはFruits(フルーツ)ね!』ってクイズの答えでも思いついたようにうれしそうに答えてくれたのを思い出します。
 
私は大学生のころまで思っていたのですが、五十音というのはこの世すべての音を表記できると思ってしまっていました。すべての音はその組み合わせでどうにが表現できると。カタカナ表記をすることで、そのマインドセットが形成される弊害があると思います。 中学生の英語導入には『あり』のカタカナかもしれませんが、会話を習う大人たちには『なし』がいいでしょう。
外国人は五十音を知りません。日本人の発音を必死で聞いて、イメージするのはアルファベットですから、アルファベットの発音をしなきゃ通じないでしょう。

ということで、どうぞHimawariEnglishへ英語を学びにお越しください。
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